■コンサートレポート(2003.4.8 福岡市民会館)
◆Set List
- I Honestly Love You (Intro)
- Have You Never Been Mellow
- Xanadu
- Magic
- Love You Crazy
- Sam
- C&W Medley:If Not For You,Banks Of The Ohio,Let
Me Be There,Please Mr. Please,Jolene
- Physical(Bossa)
- I'll Come Running
- Not Gonna Give Into It
- Don't Cut Me Down
- Somewhere Over The Rainbow (Duet with Chloe)
- Reason To Cry (Chloe's Solo)
- It Takes Two (Duet with Chloe)
- Medley:Take Me Home Country Roads,Close To You
- Don't Stop Believin'(Full Length)
- Suddenly
- You're The One That I Want
- Hopelessly Devoted To You
- Summer Nights
(Encore)
- Come On Over
- I Honestly Love You
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◆コンサートの模様
私にとっては初めてのオリビアコンサート。ちょうどオリビアがセクシー路線にイメチェンした頃が私のリアルタイムで彼女の曲を聴いていた時代になります。そう、ちょうど"Physical"や"Heartattack"が大ヒットしていた頃です(^^♪
定刻の19時から10分遅れで客電が落ち、バンドメンバーが登場し一斉に拍手する観客。バンドの演奏するこれまでの象徴的なヒット曲の演奏をバックに中央スクリーンにオリビアのこれまでの軌跡が7、8分間くらいのダイジェストで映し出され、懐かしい映像や写真にあらためてノスタルジックな感動が沸き起こり、あらためて彼女が音楽史に輝かしい軌跡を残した事実を確認できました。
その後"I Honestly Love You"のイントロに乗ってピンクのドレスを着たオリビアがいよいよ登場。25年ぶりに生オリビアの姿に感動する観客から割れんばかりの拍手が浴びせられました。現在54歳とはいっても、相変わらず美しく、以前とほとんど変わらない歌い方や声量に驚きました。オリビアは持参している日本茶で私たちに「カンパイ」とお茶目に言いながら喉を潤しつつ、そして、楽しいトークを交えながら、お馴染みのヒット曲を次々に歌っていきました。
個人的に"Xanadu"は、自分が高校時代の体育祭で踊ったとても思い出深い曲(笑)。すごくジーンと感動してしまいました。カントリーのヒット曲メドレーでは彼女が元々カントリー畑だったことを再認識させてくれます。"Physical"はジャジーなアレンジがされていて、アップテンポな原曲とはかなりイメージが違ったのにびっくり。
"Somewhere Over The Rainbow""It Takes Two"では愛娘クロエと微笑ましいデュエット。さらに"Reason
To Cry"ではクロエがソロを披露。曲調は完璧にロックで髪を振り乱して歌うクロエ。親交のあった今は亡きカレン・カーペンターの"Close
To You"を歌ったのには感動しました。
後半一番の盛り上がりはやっぱり映画「グリース」からのジョン・トラボルタとのデュエット曲"You're The One That I
Want"。革ジャンを羽織って、トラボルタ役のコーラスの男性と見事な掛け合いで踊りながら歌うオリビアさんに大感激。
最後のアンコールの後、オリビアさんがバンドメンバーと横一列に並び、手をつないで客席にお辞儀。観客は総立ちでスタンディングオベイションで応えました。「今日はありがとう、また会いましょう」とステージを去っていき、約2時間弱(?)でライブは幕を下ろしました。オリビアさん、感動をありがとう!
個人的にアルバム「Physical」からのヒット曲"Landslide""Make A Move On"、映画「運命のいたずら」からの"TWIST OF FATE"のノリノリの曲も聴きたかったなあと思いました。 |
◆オリビアのこれまで
1948年9月26日、英ケンブリッジ生まれ。母の祖父はノーベル賞受賞者のマックス・ボーン。5歳の時にオーストラリアに移住。1971年彼女はソロデビューしシングル「IF
NOT FOR YOU」がイギリスでTOP10に入るヒットとなる。イギリスでは「COUNTRY ROAD」などのヒットが続き、東京音楽祭の出場で初来日も果たす。 辣腕マネージャーとの契約をきっかけにアメリカへ本格的に進出。
1974年「LET ME BE THERE」(No.6)が大ヒット。10月にはジョン・ファラー制作の「愛の告白/I HONESTLY LOVE YOU」で初の全米No.1を獲得しこの曲でグラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤーを受賞。愛らしい容姿でアイドル的人気を獲得、カントリー調のPOPソング― 「IF YOU LOVE ME (LET ME KNOW)」(No.3)「そよ風の誘惑/HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW」(No.1)「PLEASE MR. PLEASE 」(No.3)―を次々とチャートに送りむ。この時期「カントリーロード」や「ジョリーン」が日本独自のヒット曲となり、日本でもアイドルとしてビートルズ以後最も成功した洋楽アーティストとなる。
アイドル的な人気に蔭りが見え始め下降線をたどるかと思われた1978年、ミュージカル映画「グリース」に主演。伝説の映画「サタデー・ナイト・フィバー」で大ブレイクした直後のジョン・トラボルタとの共演が功を奏し映画は大ヒット。サウンドトラックからもトラボルタとデュエットで「YOU'RE
THE ONE THAT I WANT」(アメリカ、イギリス両方でNo.1)「SUMMER NIGHTS」(イギリスでNo.1、アメリカでNo.5)、オリビアのソロで「HOPELESSLY
DEVOTED TO YOU」(No.3)とヒット曲が生まれる。
この映画をきっかけに、オリビアの音楽はカントリー調のものからロックやR&Bの要素も取り入れたPOPソングへ路線変更。これが成功して1979年「愛の魔術師/A
LITTLE MORE LOVE」(No.3)「愛の炎/DEEPER THAN THE NIGHT」(No.13)のヒットが第2次黄金期のスタートを飾る。ビージーズの末弟アンディーのソロデビューに協力した後、1980年には再び映画「ザナドゥ」に主演。この難解なミュージカル映画は興行的に失敗するがサウンドトラックから「MAGIC」(No.1)「XANADU」(No.3、イギリスではNo.1)が大ヒット。
1981年発売の「PHYSICAL」は全米1位に10週間もとどまる大ヒットを記録し、女性歌手として頂点にのぼりつめる。1982年に「MAKE A MOVE ON ME」(No.3)、1984年に「運命のいたずら/TWIST OF FATE」(No.5)とヒットが続きその人気は不動のものと思われていたが、1984年に、再びトラボルタと共演した「TWO OF A KIND」の商業的失敗以後、急速に人気が失われてヒット曲が途絶える。
起死回生をはかり長年所属したMCAからゲッフィンレコードへ移籍するが80年代後半から90年代にかけてヒット曲には恵まれなかった。トラボルタとのロマンスが破局した後、バックダンサーと結婚、愛娘にも恵まれるが、多くの時間を乳ガンとの闘いについやさねばならなくなったことも、芸能活動を停滞させた。1994年病気に打ち勝ったオリビアは自主制作盤「ガイア」で生きる喜びを高らかに歌い上げる。この時点で彼女のデビュー以来の世界中でのレコード売上は5000万枚に達していた。
1998年映画「グリース」がリバイバル上映されるなど再びオリビアにスポットライトがあたる中、1999年古巣MCAレコードから「愛の告白」のリメイクをデイビッド・フォスターのプロデュースでリリース。2000年彼女の故郷オーストラリアで開かれたオリンピックの開会式に登場し、世界中のファンに元気な姿をみせた。
◆2003年来日の模様〜ニュースを集めました〜 ○春、そよ風とともに…オリビア来日!
(2003.2.28 夕刊フジ)
70−80年代のスーパーアイドルで、日本でも人気だった歌手オリビア・ニュートン・ジョン(54)がこの春来日し、25年ぶりに単独コンサートを行う。3月19日には、初の完全ベストアルバム「オリビア・
ニュートン・ジョン」(ユニバーサルミュージック)も発売され、再びあの“そよ風”が吹き抜けそうだ。オリビアは71年に米国でデビュー。75年の大ヒット曲「そよ風の誘惑」で日本でも一躍有名になり、
翌年、日本で初コンサートを行い、約13万人の観客を動員した。78年には、ジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画「グリース」が世界的大ヒットとなり、その地位を不動のものに。さらに81年には、「フィジカル」が全米で10週連続第1位の驚異的記録を樹立するなど、まさに時代が生んだポップ・アイドルだった。一方、89年からは国連の環境親善大使を務めたり、チャリティーイベントに参加などで世界中を飛び回る活動もした。だが、その半生は決して順調なだけではなく、90年代に入ると、苦難も続いた。父親をがんで失ったが、その当日、オリビア自身も乳がんの宣告を受けることに。闘病生活を乗り越え、やっと克服した後、夫婦生活の終焉を迎えた。95年に俳優、マット・ラッタンジーと離婚。歌手活動は一時休業状態だったが、94年にカムバック。2000年のシドニー五輪の開会式にも登場し、最近では、16歳の娘クロエ・ローズと親子で米テレビドラマに出演したり、コンサートでデュエットするなど元気な姿を見せている。日本通のオリビアは、親善大使活動やチャリティー関連で数回来日はしているが、今回は本業の歌手として78年以来25年ぶりの来日。「30歳代後半以上の人には“知らない人はいない”ほどの超アイドル。コンサートはヒット曲のオンパレードになるでしょう」とレコード会社の担当者も興奮気味。どんなステージを見せてくれるか楽しみだ。コンサートは4月2日の愛知県芸術劇場大ホールを皮切りに4、6日の東京国際フォーラムA、7日の大阪フェスティバルホールなど。
○オリビア・ニュートン・ジョン来日
(2003.3.31)
豪歌手のオリビア・ニュートン・ジョン(54)が3月31日、娘でタレントのクロエ・ローズ(17)とともに1978年以来25年ぶりの日本公演のため、米ロサンゼルスから成田空港着のシンガポール航空機で来日した。来日自体は91年以来12年ぶり。前回は湾岸戦争、今回はイラク戦争の最中。「こういう時にこそエンターテインメントが重要。それに日本のファンは大切だから」とメッセージを送った。25年ぶり日本公演−日本ツアーでは娘のクロエが歌手として日本で初お披露目。オリビアは「うれしいわ」と娘に優しい視線を向けると、クロエも笑顔を振りまいていた。日本公演は2日に名古屋・愛知芸術劇場でスタート。東京、大阪を経て8日の福岡市民会館でファイナルを迎える。
○オリビア「日本人とコラボしたい」
2日から日本公演
(2003.4.1)
来日中の豪歌手、オリビア・ニュートン・ジョン(54)が1日、都内で来日記者会見を行った。2日に名古屋・愛知芸術会館で25年ぶりの日本公演をスタートさせるオリビアは「初期のものから最新の曲まで、キャリアの旅のようなものにしたい」。3月に発売したベスト盤のようなヒット曲連発のステージになる予定だ。今後は「日本人のアーティストとコラボレートしたい。今ぴったりのシンガーを探してるの」と新しい挑戦も口にした。会見には、一人娘で日本初お披露目となるクロエ・ローズ(17)も出席。初来日になるクロエは「日本はとっても美しい国でうれしいわ。母とは歌のスタイルは違うけど、自分の姿を見てもらいたい」と親子共演を心待ちにしている様子。オリビアは「かわいいから映画にも向いてると思う。娘の成長を見るのが何よりの楽しみなの」と母親としての顔ものぞかせていた。
○オリビアを聴きに杏里来場
東京公演25年ぶり日本ツアー
(2003.4.4)
豪歌手のオリビア・ニュートン・ジョン(54)が4日、東京・丸の内の東京国際フォーラムでコンサートを行った。25年ぶりの日本ツアー中のオリビアは、真っ赤なドレスで登場。オープニングから「そよ風の誘惑」「ザナドゥ」と大ヒット曲を立て続けに披露。「ミナサン、コンバンハ!」と日本語であいさつし約5000人の観客を沸かせた。ライブの中盤には一人娘のクロエ・ローズ(17)もステージに登場。今回のツアーが日本初お披露目となるクロエとは「It Takes Two」をデュエット。先月発売されたベストアルバム収録曲をたっぷり盛り込んだ全26曲で、澄んだ歌声を響かせた。オリビアのファンで、デビュー曲「オリビアを聴きながら」で知られる歌手の杏里(41)も会場に訪れ、熱い視線を送っていた。
○オリビア置き土産のワインが話題に
(夕刊フジ
04月18日 13時00分 )
70−80年代に清楚で可憐な魅力をふりまき、先ごろ、25年ぶりの日本公演を行った豪歌手、オリビア・ニュートン・ジョン(54)。娘で歌手のクロエ(17)を伴っての来日で話題を呼んだが、そのオリビアがプロデュースしているワイン「コアラブルー」がこのほど日本上陸、話題になっている。 オリビアの“置き土産”ともいえるこのワインはオーストラリア産。チェリーやベリーの香りで柔らかく仕上げた赤「コアラ ブルーシラーズ」と、ピーチとメロンの香りで酸味のある辛口の白「コアラ シャルドネ」で、各1300円。すでにイギリス、スウェーデン、ベルギー、ドイツ、アメリカなどにも出荷され、各国で成功を収めており、日本でも来日に合わせ、大手百貨店などで販売が始まった。販売元では、初年度40万ケースの販売を目標にしているが、「スマステーション」などのテレビ番組などでも取り上げられ、好調な出足だという。オリビアは来日時、「恵まれて歌手人生をすごしてラッキーだった」と半生を振り返ったが、今後は、歌手からビジネスウーマンとしての活動が増えそうな様子も。
○オリビア・ニュートン・ジョンインタビュー (2003.04.13付日刊スポーツ紙面より)
◆いつまでたっても妖精
ブロンドの髪をなびかせ、かつて“妖精”と称された英歌手オリビア・ニュートン・ジョン(54)が12年ぶりに来日した。湾岸戦争の年の91年以来だったが、偶然にもまた戦争の時と重なった。海外渡航を控えるアーティストもいるが、こういう時期だからこそ音楽が必要という。母となり、環境問題にも精力的なオリビアの心は、いまもピュアなままである。
◆ANRIの名曲
オリビアが、春の訪れとともにやって来た。来日自体は12年ぶりだが、目的は78年以来となるコンサートツアーで、ツアーは実に25年ぶりだった。♪ジョリーン ジョリーン…のフレーズを、リアルタイムに口ずさんだ人には懐かしい。一方で、ヒット曲「そよ風の誘惑」は最近、ソニー・デジタルハンディカムのCM曲として玲葉奈(れよな=25)がカバーし話題になった。若い人は「あっ、この人が元祖なの」と新鮮だった。今も女性に支持されるANRI(41)の名曲「オリビアを聴きながら」のオリビアが、彼女であることを初めて知り、驚く女性もいた。2日の名古屋から、8日の福岡公演まで4都市5公演は、どこも盛況だった。先月末の来日直後、疲れも見せず、朝から散歩に出て久しぶりの日本を確かめた。72年の初来日から8回目の日本。桜の満開宣言が出た時期で、行き交う人々は、待ちわびた春の訪れを満喫していた。オリビア 早起きして皇居の前とかを散歩したんです。桜だけでなく、いろんな花がきれい。いい季節に来られたなって感激しました。それと、日本に戻って来るたびに、街が洗練されてるって感じる。高いビルはあるけど、世界中の大都市に見られるような高層ビルが乱立しているわけではなく、自然、空間などバランスがいいですね。久々の美しい日本だったが、海の向こうでは戦いが始まっていた。イラク戦争。実は12年前の来日の91年には、湾岸戦争があった。オリビアが同年7月に日本テレビ「24時間テレビ」の仕事で来日した時にはすでに終結していたが、今回は開戦直後。テロの不安もあった。日本のレコード会社のスタッフが「来日取りやめ」を一瞬心配したが、取り越し苦労だった。オリビア 「Show must go on!(ショーを続けなければならない)」と言うけど、音楽こそこういう時期に続けなければいけないものだと思うんです。もちろん(今回のツアー実現は)日本が安全な国ということもありましたけど、怖がって生きていてもしょうがない。私は音楽をはじめ、エンタテインメントというのは人々に幸せや喜び、癒やしなどを与えられるものだと確信しています。来日の数日前には、米国でもコンサートを行った。戦いの当事国のファンの表情はどこか暗かったが、コンサートが始まると次第に笑顔を取り戻した。音楽によって人々の表情が和らいだのだ。音楽の素晴らしさをあらためて感じたという。オリビア 歌っている間に、お客さんの表情、会場の雰囲気がどんどん明るくなっていったんです。本当に音楽は国境のない平和のメッセージです。以前からずーっとそう思ってました。癒やしの力もある。言葉に関係なくそれが伝わる最大の手段だと思う。
◆9・11直後の感動
オリビアには忘れられないコンサートがある。01年9月11日の世界を震撼させた米中枢同時テロ。その2日後に、乳がんのチャリティーコンサートを控えていた。アメリカ国内には、悲痛な叫びが渦巻いていた。バンドメンバーと、コンサートの開催をめぐって議論した。だれひとりキャンセルを言い出さなかった。みな音楽の力を信じていた。オリビア もちろん、すごく議論しましたよ。でもバンドのメンバーは、音楽が人々の傷ついた心や悲しみを癒やすのだ、と信じていた。主催者側も「キャンセルしないでください。こういうときこそ、人々はあなたのような人を必要としている。ぜひやってほしい」と言ってくれた。その時の会場の雰囲気は2度と忘れない。悲しみはあったけど、会場の一体感、自分と会場の人々が1つになっているという気持ちを感じることができた。私の歌手生活の中で、あの時が最たるものだったと思います。今回の来日の際、成田空港で取材陣に「この時期に来ることはいろいろ論議はあると思うけど、自分の中では正しい選択だったと思います」と語った。「9・11」の体験が、彼女にとって大きかったことを実感させるコメントだった。
◆プリウスを買う
今回のツアーには、1人娘のクロエ・ローズ(17)が同行した。01年の全米ツアーから一緒に活動しているが、日本は初お披露目である。アルバムデビューの予定がある娘の才能を、ひとりのアーティストとして高く評価している。オリビア 歌手デビューは運命だと思ってます。彼女自身から「やりたい。歌を歌いたい」と言ってきたし、でもそれが一番、大事なこと。自分で曲も作ってますし、可能性は広がると思います。娘が17歳で日本に来られたことは、本人にとってはとてもいいこと。世界を見ることは最高の社会勉強ですから。オリビアが、日本だけでなく世界で長らくコンサートをしなかったのは、実はクロエの存在があったからだ。一時期から環境問題に熱心な歌手として認知度が高くなった。その意識を決定的にしたのが娘の誕生だった。オリビア 昔、兄のお嫁さんが「森林伐採反対!」とよく言っていたんですけど「何でそういうことをするんだろう」と思っていた時期が正直ありました。でも、娘の一番仲の良かった子が4歳でがんで亡くなったんです。その時、子供がそういう病気に侵されることは、環境汚染とかいろんなことが深刻になってるんだと、気付きました。もう、環境についていろいろと勉強しましたね。動物保護、自然保存を訴え、リサイクル運動にも積極的にかかわってきた。ある時、環境問題の裁判にひとりの母親として参加したが、自分に記者の質問が集中した。このとき「有名人である自分を利用することが、私の使命である」と気づいたという。その通り、知名度や行動力が評価され、国連の環境親善大使にも任命された。オリビア 地球にとって最も重大で最も急がなければいけない問題は、熱帯雨林をいかに保存できるかです。生態系やオゾン層にも影響を与えます。海洋汚染ももちろんですけど、森林に関しては、世界の人々が意識しなければいけない。これからも自分の思っていることをどんどん発言して、より多くの人々にメッセージを伝えていきたい。最近、プリウスを買ったんです。ハイブリッドカーです。これからはハイブリッドカーの時代ですよ。
◆ケーキの土台に
現在も多くのチャリティー活動に参加している。音楽は傷ついた人々の心を癒やすだけでなく、社会のさまざまな問題を変えていく力を持っていると信じているからだ。オリビア 音楽の喜び、楽しさは昔と変わってないし、いまでも興奮しています。一方で、歌手として女優として、ほとんどのことをやり尽くしたと思っている自分もいます。でも、そう思うことは、実はケーキの上のきらびやかな飾りでしかないっていうことかもしれませんね。飾りを支えるケーキの土台に、まだなれていないような気がします。娘の成長を見ていくのが最大の楽しみになるんじゃないかなと思いつつも、まだまだこれからなんだと感じています。過密スケジュールで、インタビューは正味30分のわずかな時間だったが、素直な思いを熱心に語ってくれた。最後に「今度は時間をあけず、また日本で公演を」と願った。オリビア そうですね。今度は平和のもとで来たいですね。
◆自然に接してくれる素敵な人
クロエ・ローズ いつまでもキュートで、同性の私から見てもとてもすてきな人。人生の先輩として心から尊敬する存在です。有名な歌手を母に持つことは、特別なことですが、そういった立場にいても母は自然に私に接してくれます。良き相談相手ですね。歌手デビューすることを快く受け入れてくれましたし「できる限りサポートするけど、成功したいと心から思うなら、すべてはあなたの努力次第」とアドバイスされました。今でも成長を続けている母に、シンガーとして追いつくのは簡単ではないけど、やりがいのあるチャレンジです。
◆オリビア・ニュートン・ジョン
1948年9月26日、イギリス・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父がノーベル賞受賞の物理学者マックス・ボーン氏。53年に父の大学赴任でオーストラリアに移住。14歳の時に出場したコンテストをきっかけに71年「イフ・ノット・フォー・ユー」で歌手デビュー。73年度のグラミー賞・最優秀カントリー歌手を受賞。「マジック」「ザナドゥ」「フィジカル」などヒット曲多数。78年、映画「グリース」でジョン・トラボルタと共演。79年に英国のエリザベス女王から勲功賞を受ける。92年、乳がんを宣告され活動休止したが94年に活動再開。00年、シドニーオリンピック開会式に出演。85年に俳優マット・ラッタンジーと結婚するが95年に離婚。来日前にベストアルバム「ベスト・オブ・オリビア・ニュートン・ジョン」を発売。
(取材・米村洋志)
◆ベストアルバム発売
オリビアのこれまでの代表曲を集めた「ベスト・オブ・オリビア・ニュートン・ジョン」が2003.3.19に発売されました。もちろん私は即ゲットしました(^ー^)ノ(アルバムの詳細はコチラ)
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