≪まえがき≫ マイケルの訃報と世界を襲った悲しみ マイケル・ジャクソンさん急死 [2009年6月26日15時18分 ニッカンスポーツコムより] 「スリラー」など世界的ヒット曲で知られる米人気歌手マイケル・ジャクソンさんが2009年6月25日、ロサンゼルスで死去した。兄のジャーメインさんが記者会見で明らかにした。50歳。詳しい死因は不明。米音楽界で「キング・オブ・ポップ」と称された一方、私生活ではスキャンダルや奇行が目立ち、波乱の一生だった。 家族や米メディアによると、ジャクソンさんは心不全とみられる症状でロスの自宅で倒れ、25日正午(日本時間26日午前4時)すぎ、救急隊が到着。既に呼吸ができない状態で、搬送先のカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)付属病院で、同2時26分に死亡確認された。 ロス市警当局者は現段階で死去に事件性を示す証拠はないと述べた。遺体は検視局に搬送された。 7月にはロンドンで公演を行う予定だったが、5月に主催者が延期を発表。健康問題が取りざたされていた。ジャクソンさんは1958年、米インディアナ州ゲーリー生まれ。69年に兄弟5人で結成した「ジャクソン・ファイブ」のリードボーカルとしてデビュー。その後、ソロ活動を始め80年代以降、大ヒットを連発し世界的スターとなった。「今夜はビート・イット」「ビリー・ジーン」などを含む82年のアルバム「スリラー」は全世界で1億枚以上を売り上げ、世界で最も売れたアルバムとしてギネスブックに認定された。その後も「バッド」などヒット曲を出し続けた。84年、米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞で8部門を制覇。生涯で計13部門を獲得した。85年にはアフリカ飢餓救済のチャリティーで、故レイ・チャールズさんなど米音楽界の大御所が集結した「ウィー・アー・ザ・ワールド」制作の中心となった。94年にエルビス・プレスリーの娘リサ・マリーさんと結婚したが、96年に離婚。同年に再婚したが約3年で破局した。子供が3人いる。2003年には自宅兼遊戯施設だった「ネバーランド」で少年らに性的虐待をしたなどとして米国で子供への性的虐待罪に問われ、05年に無罪評決を勝ち取ったが、金銭問題などを抱え、本格的な公演活動をしていなかった。 「ポップの帝王」追悼式に2万人 米主要テレビが生中継 2009年7月8日 【ロサンゼルス=堀内隆】6月25日に急死した米歌手マイケル・ジャクソンさんの追悼式が7日、米ロサンゼルスステープルズセンターで開かれた。ファンや友人ら約2万人が、一時代を築いた「ポップの帝王」に別れを告げた。7日朝にロサンゼルスで親族による葬儀を終えたジャクソンさんの棺(ひつぎ)は、総立ちのファンの拍手に包まれて会場に入ってきた。マライア・キャリーさんやスティービー・ワンダーさんら一流アーティストが次々にステージに上がり、会場は「感謝祭」のようなムード。スポーツ界や政界の著名人もそれぞれに思い出話を披露した。ジャクソンさんが85年、アフリカの飢餓救援のためにライオネル・リッチーさんと共作した「ウィ・アー・ザ・ワールド」が演奏されると、会場も声を合わせた。ジャクソンさんの遺児が初めて公の場で話す様も、会場の涙を誘った。追悼式のチケットは抽選で1万7500人分が無料配布され、160万人以上が応募した。式の模様は米主要テレビ局がそろって中継した。 ★追悼式報道(YouTube) パリスちゃんのコメントが涙を誘います・・・・。 http://www.youtube.com/watch?v=POuuDkNPsdY http://www.youtube.com/watch?v=-u_vpA6yJLU&feature=related
マイケル・ジャクソン、検視局が「他殺」と断定 2009/08/31 MTV News ロサンゼルス郡検視局は28日、マイケル・ジャクソンの死因を「急性麻酔薬中毒」と発表した。警察はマイケルの死に関して現在も捜査中で、最終的な検視結果は捜査が終わるまで保留される。TMZによると、検視局の文書には他にも「ベンゾジアゼピン効果」がマイケルの死につながったと書かれている。これは「バリウム」、「ザナックス」、「バースド」など、不安や不眠の症状を治癒するために使用される一連の鎮静剤を指す言葉だという。また、死の容態は「他殺」と結論付けられ、手術用の麻酔薬「プロポフォール」と鎮静剤の「アティヴァン」が、「ジャクソン氏の死因となった主な薬物」とされている。他にもマイケルの血中からは、4種類の薬物が検出された。 死後70日にしてマイケル・ジャクソンさん埋葬される…元妻やマコーレー・カルキンも出席 2009年9月4日 14時58分 [シネマトゥデイ映画ニュース] 米国西海岸時間9月3日(水)午後7時30分、70日前に亡くなったマイケル・ジャクソンさんの亡骸がやっと安息の地に埋葬された。マイケルさんが生前本拠地としていたネバーランドに埋葬されるという、うわさもあったが、最終的な埋葬地は母親キャサリンさんによって決定され、ロサンゼルス都心部より約15分、キャサリンさんの住むエンシノから20分のグレンデールという街に位置する閑静な墓地、フォレスト・ローン・メモリアル墓地になった。メモリアル墓地敷地内の屋外に用意された式会場には、グリーンの芝の上に白い椅子が400席余り並べられ、マイケルさんの家族をはじめ友人知人で埋め尽くされた。埋葬式に出席した主なセレブは、往年の大女優で生前のマイケルさんとも親しかったエリザベス・テイラーさん、元・米大リーグのスターであるバリー・ボンズ選手、マイケルさんの元妻でエルビス・プレスリーの娘、リサ・マリー・プレスリー、俳優のクリス・タッカー、そして子役時代にマイケルさんと兄弟のように仲が良かったマコーレー・カルキンらも駆け付けた。ピアノの生演奏によるマイケルさんのヒット曲をバックに、午後7時開始の予定時間より1時間15分ほど遅れてキャサリンさんをはじめ、マイケルさんの兄弟姉妹が到着し、式の開始を待っていた出席客に声を掛けたり握手をしたりして労をねぎらった。亡くなってから2か月半という長い時期を経て、やっとマイケルさんが埋葬されるのは、メモリアル墓地内にある壮麗な大霊廟の中で、内装はすべて大理石で作られており、マイケルさんの亡骸が納められる場所の壁には、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の複製をモチーフにしたステイングラス、そしてマイケル・アンジェロのダビデの彫像のレプリカなどが飾られており、美術館さながらだという。ロサンゼルス検視局の最終発表でマイケルさんの死因は関係医師による麻酔薬を始めとする薬品の過剰投与によるもので他殺と判定された。マイケルさんの早すぎる死に関与した無責任な医師たちの一刻も早い起訴を願うばかりである。(取材・文:神津明美 / Addie Akemi Kohzu) ジャネット・ジャクソン、沈黙を破り兄・マイケルの死を語る 2009年9月11日 14時36分 [シネマトゥデイ映画ニュース] 6月に亡くなったマイケル・ジャクソンさんの妹でシンガーのジャネット・ジャクソンが、マイケルさんの死後初めてその死についてコメントした。ジャネットは雑誌「ハーパーズ・バザール」の中でインタビューに応じ、日々マイケルさんの死が報道されることについて「気が変になってしまうわ。誰もが石の心臓を持つ強い人ばかりじゃない」と語り、テレビのニュースは極力見ないようにしていたと告白。また、追悼式でのスピーチが多くの人の涙を呼んだ姪のパリスさんについて、「とても誇りに思っている」と語った。マイケルさんの死の連絡を受けたとき、ジャネットは仕事でアトランタにいたがすぐにロスへ帰ったそう。ジャネットがマイケルさんに最後に会ったのは、死の6週間ほど前のこと。「その日は本当に楽しかった。あの日以来、お互いに電話をし合って、楽しかったわねって話していたの」と思い出を振り返った。 マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」公開へ 2009年6月に急逝したマイケル・ジャクソンによって、死の数日前まで行われていたコンサート・リハーサルを収録したドキュメンタリー。何百時間にも及ぶリハーサルを一本の映画にまとめあげたのは、『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』の監督兼振付師で、予定されていたロンドン公演のクリエーティブ・パートナーでもあったケニー・オルテガ。コンサートを創り上げる過程では、偉大なスターであり才能あふれるアーティストでもありながらなおも進化を続けたマイケル・ジャクソンの素顔が垣間見える。 ストーリー:2009年6月、1か月後に迫ったロンドンでのコンサートを控え、突然この世を去ったマイケル・ジャクソン。照明、美術、ステージ上で流れるビデオ映像にまでこだわり、唯一無二のアーティストとしての才能を復帰ステージに賭けながら、歌やダンスの猛特訓は死の直前まで繰り返されていた。
私にとってのマイケル 2009年6月26日、マイケルの急死の衝撃ニュースが世界を駆け巡り、世界中のファンがKing Of Popと称されたマイケルの死を悲しみ、悼みました。私にとってもこの悲しみは表現しようがなく、本当につらいつらいものでした。彼がスリラーで名実ともに世界の大スターになった頃、私はまだ小学校高学年。私が今でも洋楽が好きなのは、マイケルの曲をはじめ、世界で流行した80年代ポップスの影響です。MTVなどで流されるミュージックビデオは、彼の得意なキレのあるダンスを駆使したストーリー仕立ての凝った作品が多く、音楽をビジュアル的により身近なものにしてくれました。マイケルはその素晴らしい音楽で、またスリラーやビートイットに代表されるそのミュージックビデオで、そして白人ファンを獲得したブラックアーティストにとってのパイオニアだったわけです。私はマイケルの1993年、1996年の福岡公演を楽しみました。特に93年の公演は私の記念すべきライブ生活のスタートで、当時大学生だった私は、「この福岡に世界のマイケルが来るなんて信じられない!!!!見ないと一生後悔する!!!」と、確実にチケットを入手すべく、福岡ドーム(現yahooドーム)で後先考えず夢中で並び、2晩を過ごしました。他にも大勢のファンの皆さんがいらっしゃったのを覚えています。そんな苦労の末にマイケルの公演を見たときには、「これはすごい!!!こんな素晴らしいライブが存在したなんて!!これこそ世界エンターテイメントだ!!!」とものすごく感動したこを覚えています。93年の福岡公演はアジアツアーの一環で、日本で唯一の公演だったことから全国からファンが集結し、チケット代金が高騰するなど、大いに盛り上がりました。同時に残念ながら彼の幼児虐待疑惑報道も過熱していて、マイケルは体力的にも精神的にも追い込まれていたようで、実際のライブは予定より早めの全13曲で終了してしまいました。ですが悪い状況ながらもベストなステージを見せてくれたマイケルはさすがプロフェッショナルで素晴らしかった。96年の福岡公演でのマイケルは元気一杯で完璧なステージで圧倒してくれました。今さらながら、そんなマイケルのライブを生で体験した思い出が、私のつらい気持ちを助長して、さらにさらに悲しい気持ちになってしまいます。人の死はいつかは来るものだけれど、出来るならばこのような死ではなく、寿命をまっとうし、その才能を披露し続けてほしかった。本当に無念ですね。彼の魂や歌や映像は永遠に受け継がれて行きます。普通の人は一生かかっても、世界で活躍して多くの足跡(ヒット曲)を残すことなんて出来ないわけでしょ。でもマイケルはそれが出来て、多くのことを成し遂げました。50歳という今の寿命でいえば短い人生なのかもしれないけど、その間に凝縮されたものは100年分に匹敵するものだったと思うんです。マイケル、沢山の素晴らしい感動をありがとう。心からそう伝えて、天国でこそメディアから解放されて、安らかに、平和で安らかな世界を生きてほしいと願うばかりです。 福岡公演ライブレポートはコチラ 1993年 デンジャラス ワールドツアー 福岡公演 1996年 ヒストリー ワールドツアー 福岡公演 ≪本編≫ マイケル追悼イベント参加へ マイケルが長崎佐世保にあるテーマパーク「ハウステンボス」が大好きで何度か訪問していたことは知っていました。ですが、どのように滞在してどこに宿泊して、どの施設を楽しんで・・・といった情報は関係者のみのマル秘事項だったわけですよね。皮肉なことですが、マイケルが亡くなった後にその様子が伺い知れるイベント、マイケルを偲ぶイベントがハウステンボスで開催されるというニュースを7月に新聞報道で知りました。そして正式にはハウステンボスホームページで発表されました。マイケルは92年と93年の2回ハウステンボスを訪れて休暇を楽しんだとのことです。
9月12日(土)ひどい雨 ハウステンボス到着〜ホテルヨーロッパへ 来福した友人を福岡空港で出迎え、そして私の愛車セリーヌ号で高速道路に乗りました。福岡都市高速〜大宰府IC(九州自動車道)〜鳥栖JCT(長崎自動車道)〜武雄南IC(西九州自動車道)〜佐世保大塔ICで高速を降り、福岡から約1時間半でハウステンボスに到着しました。途中ものすごく打ちつけるような大雨が襲い、今日はどうなることやら・・・と少々思いやられながらも、目指すはマイケル!!!ということで気分は前に前に進んでいました。ハウステンボスに到着して、入場口で荷物を預け、ファンの集いを前に、雨の中散策スタート。くまの出迎えを受けてパークに入場。すぐに広がるキンデルダイクの風車と花畑の風景は、まさにオランダそのもの。異国の地に足を踏み入れた感覚にとらわれます。雨のオランダの風景もなかなかのもので感動でした。その後、カナルクルーザーに無料で乗船し、宿泊先のホテルヨーロッパ前の桟橋で下車。チェックインは後回しで、そのままホテルを通過してランチのお店へ向かいました。
ランチはご当地グルメ「佐世保バーガー」 佐世保に来たらやっぱり有名な佐世保バーガーを食べなくっちゃ!!!ということで、ハンバーガーセットをいただきました。そして、このころに雨は小康状態になり、止んでくれました。夕方のイベントを前に止むなんて、日ごろの行いがいいのでしょうか(←自分で言うなっ)神様に感謝感謝です。
ドムトールン展望台へ ハウステンボスを一望できる地上65m展望台。昼間は眼下に広がる波穏やかな大村湾や緑に包まれた街並みを、眺めることが出来るんです。ハウステンボスでは個人的に一番好きなスポットです。この展望台からの風景を見ていると、ますます自分が日本に居ることを忘れ、海外旅行しているような気分になれます。素敵すぎて感動します。マイケル・ジャクソンもこの風景を眺めたそうですよ!!!!(次の日のマイケルのハウステンボスでの足跡を辿るツアーでは、この展望台まで登らなかったので、今日上っていて良かった!!!)
ホテルヨーロッパチェックイン〜休憩 さて、16時半頃ホテルヨーロッパにチェックインしました。開園以来ハウステンボスには数回来ているものの、あこがれのホテルヨーロッパに宿泊するの初めて!!!とってもゴージャスなホテルに、プチセレブになったような気持ち。宿泊したスタンダードツインのお部屋も外国のホテル並みに広く、のんびりゆったり過ごせて、すごく快適でした。一泊だけでは勿体ない!!!!このホテルヨーロッパはルームサービスがとても充実しているんですよ。メニュー表がレストランのそれのように、盛りだくさんの内容であることに表れています。1階の客室はテラスのある造りになっていて、ルームサービスを取ってゆっくりお食事する宿泊客の方々も多いようです。私は残念ながら今回は慌ただしくもちろんトライする機会ありませんでした。このお部屋で、ファンの集い集合時間の18時15分ごろまで、荷ほどきをしたり、ベットで休憩をしたりして過ごしました。
ディナー&トークショー”We Love MJ” 〜グッズ販売〜 18時15分ごろ、宿泊のホテルヨーロッパの1階奥のレンブラントホール入口で受付を済ませました。100名ほどの全国からのマイケルファンが来場されているということです。マイケルのトレードマークの黒の帽子をかぶった方や、Tシャツを着ている方など、年齢層は幅広く20〜50代の若者から家族連れ、老若男女、多くの皆さんが集結していました。同年代のリアルタイム世代というと、少なくとも40代以上になるんでしょうけどね、後からファンになった世代も多いということで、あらゆる世代のファンから愛されたマイケルの様子がうかがえるようです。親世代が大好きだったのでしょう、そのお子さんの男の子が「子マイケル」となって、皆さんに愛嬌をふりまいていました(笑) まず受付を済ませると、待合室ならぬ、マイケルのグッズやパネルが展示してあるお部屋に通されました。ここではロンドン公演で発売される予定だったTシャツやポスター等販売に加え、マイケルがハウステンボスを訪問した際のパネル写真、93年福岡公演時の大フィーバーが起きた模様を伝える新聞記事、マイケルのアルバム等々が展示されていて、早くもなんだか目がうるうる来てしまいました。ここで、スタッフの方から、マイケルがしていた右手のテーピングを皆さんで巻きましょう!!!と呼びかけられ、もちろん!ということで私も巻きました(笑)
ディナー&トークショー”We Love MJ” 19:00〜20:30 定刻になり、レンブラントホールに入場し、皆さん着席。ディナー&トークショーがスタートしました。今回の主催者代表であるサエキケンゾウさん、そしてマイケル・ジャクソンファンサイト“ムーンウォーカー“管理人のとよさん、マイケルパフォーマンス軍団“MJスピリッツ“さんのご挨拶があった後、マイケルの大好きだった炭酸入りオレンジ“ファンタオレンジ“で乾杯。その後バイキング形式のお食事を各自いただく時間が約30分ほど取られました。食事はやはりホテルならではでとっても美味しかった!!!ワインもしっかりいただき大満足。その後トークショーが本格的にスタート。最初はサエキさんととよさんがインタビューする形でマイケルのことを詳しく語ります。さすがファンサイト管理人さんだけあり、裏の裏までご存じです。その後お待ちかね、サエキさんがハウステンボスの当時の担当者にインタビューする形で、当時のマイケルがハウステンボスに滞在する映像が紹介されました。映像を見て、ファンの皆さんから多くの歓声が上がっていました。マイケルが宿泊する迎賓館のバルコニーからパークを眺める様子、そして迎賓館からカナルクルーザーで園内を回る様子、そこにはクルーザーを実際に運転させてもらっている様子もありました。そしてパレスハウステンボス前でハウステンボスのオフィシャルマスコットをプレゼントされて「これはミッキー(マウス)?」と、おとぼけコメントを言うマイケルの姿などなど、本当に信じられない映像のばかりでした。またクルーザーに乗っているのがマイケルだと知った当時来園されていたお客さんたちが、「マイコーっ、マイコーっ」と叫んで、そのクルーザーを運河沿いに熱狂的に追いかけるシーンも見られて、そのお客さんにはお仕事中のレストランのウェイターさんやコックさんも混ざっていたり(爆)。マイケルは当初ホテルヨーロッパに宿泊予定だったらしいのですが、運河に囲まれていてセキュリティ上安全だからということから急遽迎賓館になったとのこと。世界のマスコミから逃れ、本当の意味でマイケルが安心して宿泊できるように、ホテルの関係者の皆さんが最大級のおもてなしをなさったということで、そのご苦労も大変なものがあったことだと思います。このディナー&トークショーで当時の貴重なお話が聞けてうれしかったです。そしてディナー&トークショーは無事終了し、花火会場へ移動しました。
MJメモリアルファイアー (20:45〜) すっかり日も暮れて、ハウステンボスは夜景がきれいな街並みへと大変身。デ・リーフデ号が泊まるオレンジ広場で、マイケルの音楽とともに大迫力の花火が開催され、その美しさと大迫力に多くの皆さんから大歓声が上がりました!!!
CLUB MJ(ダンスナイト) 21:00〜23:00 場所を移動してムーンシャワーにてダンスナイトが開催されました。ダンスは出来ないけど、皆さんの雰囲気を楽しみに参加することにしました。フリードリンクなのでもちろんアルコールもいただきました。最初はマイケルグッズやハウステンボスグッズの抽選会が行われて、なんと私は明日のお昼間の15分ほどの大村湾クルーズチケットが当選してしまいました!!!!うわ〜うれしい。友達はハンドタオルが当選。Wでラッキーデーです。そして会場が暗くなり、スクリーンには、マイケルのライブスタート時に流れる、クラッシック音楽をBGMに各国でのマイケルフィーバーやステージの模様、プロモーションビデオをミックスしたあの荘厳な映像が流れ、終了と同時にMJスピリッツによるマイケルショーがスタート。このMJスピリットのリーさんは、もうまるでマイケルの魂が乗り移っているかの如く、本当に上手い!!!ダンスは完璧だし、もちろんムーンウォークも見せてくれました。マイケル本人からも絶賛されたというのは本当に納得という感じ。(歌はマイケルのボーカルを当てています)ジャクソンズ5の"I Want You Come Back""Love You Save""I'll Be There"や、ジャクソンズの"Shake Your Body""Working Day and Night"、マイケルのソロの"Beat It" 、Smooth Criminal""Thiller""The Way You Make Me Feel"の大ヒット曲など沢山の曲をやってくれて、最後は"Heal The World"を大合唱しました。(多分覚えてないだけで、もっと演目があったと思います)その後、お客さんがフロアに入り一緒にダンシングタイム!!!子マイケルからおばちゃんまで、皆さん踊り楽しみます。踊りの上手い人たちが、素人さんらを随分とリードしてくれてましたし馴染みやすい雰囲気だったと思います。今夜のことは、マイケルはきっときっと天国で喜んでくれていたんじゃないかなと思いました。
9月13日(日)快晴 朝食〜ホテルチェックアウト
クリスタルドリーム鑑賞とMJエピソードツアー 10:00〜12:00
今回の参加は100名ということだったので、50名づつの2グループに分けてツアーが実施されました。私は後半組。ということで、奥のパレスハウステンボスからスタートすることになりました。ここはマイケルが甥っ子たちと一緒におとずれ、写真を撮影した場所。当時の写真と見比べても全く変わることない建物や庭園の姿に、時の流れが止まったような気がしました。もちろんファンの皆さんはマイケルと同じポーズで写真を撮影で大満足でした。合間に、「妹のジャネット・ジャクソンさんがハウステンボス2周年記念でライブをしたのは、、マイケルの紹介だったのですか?」とお聞きしたら、当時の担当者の方に電話連絡を取ってくださり、「ジャネットに、ハウステンボスに行ったことは伝えたかもしれないけれど、ジャネットがライブを行うにあたって改めて紹介したというわけではなかったんじゃないか(憶測)」とのことでした。(←でも、マイケルが好んで来園していることだし、パーク側からは誘致の段階でお勧めくらいはされたのでは?そんな気がします・・・・) その後、歩いて向かったのは迎賓館。迎賓館は世界のセレブが宿泊する、一般ピープルには縁遠い高級なところです。少し前に日本の皇太子様もご宿泊されたとのこと、ますます縁遠い・・・・。でもそんな場所に我らがマイケルが2度も宿泊していて、私たちファンがそのお部屋を拝見することできるなんて、本当に貴重な機会に恵まれたなと思いました。到着して建物に入ると、ゴージャスな世界が広がっています。中央に大階段があり、私たちはエレベーターで4階に上がり、マイケルが宿泊したスイートルーム405号室に入り、隅から隅までお部屋の様子を堪能したのです。もう溜息溜息。内装も調度品も全て一流品で揃えてあります。お風呂や洗面台は大理石仕様。ベッドルームやお風呂、洗面などは各2部屋。共有スペースが1部屋、キッチンもあるし、それはそれはもうゴージャスの一言。お部屋の窓から見る風景ももう最高です。マイケルはどんなことを思いながら、同じ風景を眺めていたんでしょうね。最後にマイケルが好んで食べたというチキンと再びファンタオレンジをいただきました(笑) マイケルさながら、迎賓館からクルーザーに乗り込み、運河を遊覧。この風景は本当にのどかで心が安らいでほっとしました。きっとマイケルもそんな気持ちで眺めていたのでしょうね。実際にマイケルは操縦席も握らせてもらい実際に運転したそうです。ここで妹ジャネットさんの話題が再び!!!開業2周年記念として1994年3月25日に開催されたジャネット・ジャクソンさんのハウステンボスライブは、前日まで好天から一転ヒョウなどが降るものすごく寒くて最悪なコンディションだったそう。しかも野外のライブということで、ジャネットは風邪気味だったそうで、「今日はコンサートをやらない」と言っていたそうなんです。そこを関係者の皆さんが「せっかく多くのファンの方があなたのコンサートを楽しみにご来園されているので、どうぞ開催してください。お願いします!!!」と土下座されたそうです。ジャネットは条件を出して、「ジャンパーを着てパフォームすること」「短めのライブになること」、この二点を条件にライブを開催してくださったそうです。ベストな形ではなかったにせよ、関係者の皆さんほっとされたことでしょうね。ちなみにジャネットの宿泊はホテル・ヨーロッパのスイートルームだったそう。 そうこうしているうちに、クリスタルドリーム(アトラクション解説はコチラ)前に船は到着。マイケルがとても好んでいたアトラクションで、「バージョンアップの計画があったら、自分のアイディアを加味させてほしい!!!」と当時の東京公演開催中のホテルまで、このアトラクションの設計者やらハウステンボスの責任者を呼んで打ち合わせを行ったそうなんです。結果的には実現しなかったそう(-_-;)そんなマイケルの思い出のアトラクション、改めて鑑賞しました。すっかり忘れてしまっていたけど、ずっと前に鑑賞したことがあって、こんな感じだった!!!!と再確認しました。ストーリーはちょっと複雑なのですが、芸術性的な水を使ったアトラクションでした。アトラクション終了後に、ファンの皆さん限定で、スクリーンを上げて仕掛けを解説していただきました。とっても貴重な機会でした。実際にマイケルにも仕掛けの説明をされたからなんですけど、ここまでしてくださるってすごくないですか!!!! 館内ロビーでは改めて、マイケルへのファンメッセージがついたボードや、大型液晶テレビでのマイケル映像の上映、サインや写真、帽子の展示が行われていました。メッセージですが、私も「I Love you Michael forever!!! You're truely legend.」と書きました。ちょっと恥ずかしい(苦笑) 今回のツアーでは、マイケルが来園した際に、ハウステンボスまで追っかけをされたという女子3人組の皆さんもご一緒でした。直接お話はできませんでしたが。彼女たちにとっては、今回はさながらマイケル同窓会といった感じてもあったのでしょうか。 これで、2日間に及んだマイケルツアーは終了です。ハウステンボスの皆さん、マイケル・ジャクソン実行委員会の皆さん、本当に楽しい充実したイベントをありがとうございました。今回は本当に「ここまでしていただいていいのか?」というくらい、至れり尽くせりの内容で、身も心も大満足。マイケルが大好きだったのは、この雰囲気、温かさじゃなかったのかなあと思えてなりません。ハウステンボスは本当に素晴らしいところです。近年経営危機など心配されて久しいのですが、このような素晴らしい施設はずっと継続していってほしいと思います。皆さん、ハウステンボスを応援して行きましょうね!!!!
ハウステンボス散策 マイケル・ジャクソンツアーが終了し、しばらく園内を散策しました。昨日の雨模様とは一転、お天気も良く、とても同じ場所だとは思えないくらい綺麗な美しい風景が広がります。
クルージングで海を満喫 CLUB MJ(ダンスナイト)で当選したチケットで、大村湾のクルージングを楽しんできました。13時からの約15分くらいのクルーズでしたが、海がとても綺麗で、気持ちもよく、かなり快適でした!!!(ボート自体はカナルクルーザーに似た大きさですが、エンジンは海仕様なのでしょうか・・・笑)マイケルのおかげで素敵な経験ができました。
ランチタイム ランチは美味しいと評判のお店「ピノキオ」でピザをいただきました。ピザもパスタもどちらも最高で、美味しかったです。
さらばハウステンボス 時間も15時を過ぎて、そろそろ帰宅の途に付く時間に。出国口まで徒歩で歩いたのですが、昨日は雨だったこのキンデルダイクの風景もこんなに真っ青に晴れ渡り、同じ場所とは思えません!!!!美しい風景に癒されながら、このハウステンボスを後にしました。マイケルのアルバムをBGMに車を運転し、福岡に到着したのは17時頃。友人を福岡空港に送り届け、私もその後無事に帰宅することができたのでした。 あとがき 多くのファンの皆さんとマイケルを偲び過ごせたこの日々、私にとってとても思い出深い旅になりました。マイケルの魂は永遠にファンの心に宿り続け、それをまた後世の人々に語り継いで行かれることでしょう。偉大なアーティストマイケル・ジャクソンが好んだ、あの自宅ネバーランドのようなこのハウステンボスが、さらにさらに大好きになった、そんな2日間でした。ありがとうマイケル、ありがとう、イベント実行委員会の皆さん、そしてハウステンボスの皆さん!!!!今回ご一緒したBさんありがとうございました!!! マイケルグッズ ロンドン公演で発売予定だったマイケルTシャツは特に、ハウステンボスからのプレゼントまで盛りだくさんのグッズにとてもうれしい気持ちです!!
リンク ハウステンボス http://www.huistenbosch.co.jp/ マイケル・ジャクソンオフィシャルHP(日本) http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/MichaelJackson/ マイケル・ジャクソンオフィシャルHP(アメリカ) http://www.michaeljackson.com/us/home ジャネット・ジャクソンオフィシャルHP http://www.janetjackson.com/ |