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モンサンミッシェル観光ルートMAP

モンサンミッシェルは、バスでパリから約4時間の距離

旅行記
★第7日目★2010年9月12日 曇り雨のち晴れ


起床〜ホテル出発〜モンサンミシェルへ

今日はいつもより早い朝5時起床。眠い、眠すぎます。6時半から朝食を取り、7時10分にロビーに集合。バスに乗り込み、一路ノルマンディー地方にある世界遺産「モンサンミッシェル」へ向けて出発しました。長距離運転なので、運転手さんが2名乗っていました。一人はおじちゃん、一人は若くてまるでドラマ「プリズン・ブレイク」にマイケル役で主演しているウェントワース・ミラーさんにそっくりなんですよね。あいにく天気は曇りです。

なんとかお天気が好天することを祈り続けました。しかし、途中でものすごい雨が降りだし、「えええええ〜うそ〜〜(泣)」と大ショック!!!!!仕方ない、雨でも楽しめるさと気持ちを切り替えることにしました。しかししかし、その道中で、徐々にお天気が回復し始め、私の強い祈りが通じたのか、ものすごい素晴らしいお天気に変わりました!!!!!私は「やった〜〜〜」と飛び上がるほど喜びました。神様ありがとう。本当にありがとう。本当にヨーロッパのお天気って変わりやすいし、予測不可能ですね。この場合は、本当にラッキーだったとしか言えません。

途中トイレ休憩を何度か挟みました。ドライブインでは他社の日本人ツアーの皆さんと良く出会います。添乗員さん曰く、日本人はモンサンミッシェル
が大好きで、モンサンミッシェルには日本人がいっぱいなんだそう(笑)朝早かったので、うとうと居眠りしながら、現地に到着しました。

モンサンミッシェルへ向かう高速道路
お天気は曇り
そして、途中で大雨となり・・・・(苦笑)
この時点で私の心も涙で土砂降りでした
 
そして、こんなにいいお天気に変身(爆)
片道4時間の道中なのに、めまぐるしいお天気の変化にびっくり
高速道路を降りモンサンミッシェルに近づいてくると、牧歌的な風景が広がります
途中に十字架の碑がありましたが、これはお墓かな?
 
小道をどんどん進んでいくと・・・・
 
見えてきました、これが海上のピラミッド「モンサンミッシェル」なんだぁ、凄い!!!
少しズームしてみました
手前には一面の麦畑が広がります
ホテルなどが並ぶ街並みを通り過ぎると・・・・
 
モンサンミッシェルに渡る細長い道路が現れました
道の両側には湿った干潟が広がります・・・・
(今は水が引いているようですが、この湿地はかなり歩きにくそう)
車が既に沢山駐車していますね、城内は既に観光客で多いんだろうなあ・・・・。
モンサンミッシェル手前の駐車場でバスは停車


世界遺産「モンサンミッシェル」到着〜昼食

私たちはモンサンミッシェルに到着し、下車した付近から全体写真を撮影したりしながらしばらくその素晴らしい眺望を楽しみました。素晴らしい青空の中で佇むその優美な姿にじーーーーと見とれてしまって、ただただ素晴らしいとか、凄いという他に言葉が出ませんでした。その後私たちは敷地内に入り、賑やかな通りを少し上がったところの道なりにあるノルマンディー料理のレストラン「Le Mouton Blanc(ムートンブラン)」でランチをしました。ここに来たら名物のリンゴ酒「シードル」や、モンサンミッシェル名物の「オムレット」はいただかなくてはですよね。オムレットはホイップクリームのように泡立てて焼くため、とてもふんわりと焼きあがり、味付けも甘く作られていますが、全然お腹にたまらないので、メイン料理ではなく前菜。メインはサーモンのソテーにクリームソースがかかったものが出て、デザートはアップルパイでした。どれもとても美味しかったです。

★モンサンミッシェルとは(ウィキペディアより)
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)とはフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院で、カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。

【地形】

ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。

サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェルは、世界遺産の厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市である。


【建築物
修道院主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(11〜12世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば〜16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13〜15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家エマニュエル・フレミエによって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた建築遺構も残る。

【モン・サン=ミシェルの歴史
この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。


百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン・サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。

18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。 1979年にはユネスコの世界遺産に登録された。2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。

近年、堤防の影響により、島の周囲が砂洲化しつつあり、国家事業として、かつての「島」に戻すプロジェクトが進んでいる。

世界遺産「モンサンミッシェル」の姿
優美で気品のある姿にただただ感動します
 
モンサンミッシェルを前に記念撮影!!!!
 
城内にあるノルマンディー料理のレストラン「Le Mouton Blanc(ムートンブラン)」でランチ
ホテルにもなっていて宿泊も出来るんだそうですよ!!!
シードル
リンゴの発泡酒
窓越しの看板が入るようにパチリ パン
名物オムレット
フワフワっと溶けるようでした
サーモンのクリームソテー アップルパイ


世界遺産「モンサンミッシェル」観光

食事も終わって、さあ、今からモンサンミッシェルの観光スタートです。ここでフランス人現地ガイドさんと合流。このガイドさんは英語は話せても日本語が出来ないみたいで、添乗員さんが代わりに日本語に訳しながら説明して下さいました。私たちは敷地内の細い島のメインストリートである参道グランド・リュをどんどん歩き上に登っていきます。細い道なりには沢山の魅力的なお土産屋さん、レストランやホテルが並び、沢山の人で溢れています。人々とのすれ違いも大変でした。そしてやっと修道院の入り口に到着したのです。歴史溢れる大きな建物内を実際に自分の足で歩いていると、昔の巡礼者の息遣いが感じられるようで、とっても感慨深かったし、その高台から見る干潟の雄大な吸い込まれるような素晴らしい風景を眺めながら、一方はフランスの海岸、その反対は遠くイギリスまでつながっているんだと思うと、なんだか自分がこの場にいることがすごく貴重な気持ちになりました。1時間弱ほどで観光を終えた後、私たちはお土産などを見ながら束の間、40分間の自由時間を過ごしました。お土産は大方事前手配で購入手配していたのですが、現地で見ると安いんですよね。ガレットを購入しました。そして他の店では、ミニミニサイズのフランス国旗も購入しましたが、ドイツ国旗やスイス国旗はありませんでした(当たり前かも〜爆)

お店のフランス人店員さん、日本語がとっても上手!!!おもてなしされる側としては嬉しいことですよね。とある女性にお聞きすると、特に勉強をしたわけでも留学したわけでもなく、観光客と応対する中で覚えたそうです。「今度は韓国語を覚えたいと話していましたが、中国語はイヤです」と顔をしかめてました。たまたまかもですが、フランス人と中国人・・・確かにお国柄も文化も国民性もなんだか合わないかもしれません(苦笑)

かつてモンサンミッシェルの有名な料理人プーラールおばさんが作った伝統的なオムレツなどの料理で有名になったホテル&レストラン「La Mere Poulard(ラ・メール・プーラール)」。食事をしなくてもオムレツを作る様子を見学することが出来たので、古典的な製法でオムレツを作る様子を眺めてしばし楽しみました。その後14時頃、乗ってきたバスに戻り、モンサンミッシェルを後にしました。

私たちはこの一番上、てっぺんの塔を目指します
 
修道院へ通じる参道グランド・リュには沢山の人人人・・・
 
沢山のお土産屋さんが並びます
 
左は中世の騎士と記念撮影する観光客、右は焼きたてのガレットを売るお店
修道院入口に向かう階段を登りながら、後ろを振り返ると綺麗な風景が広がります
 
入口はもうすぐ、階段が続きます・・・・
修道院入口から入場しました
その後、すぐに階段のある道に出て、道なりに歩いていると、願い事がかなう石やシスターの姿がありました
階段を更に歩いて登っていくと・・・・・
修道院
塔の先頭には黄金の聖ミカエルの像が見えますね!!!
私たちが渡ってきた干潟の中を走る道路
フランス人ガイドさんが、添乗員さんに「あなたたちのバスはどれ?」って聞いていたそうです(笑)
モンサンミッシェルの歴史を紹介した展示室に入ります
モンサンミッシェル模型
モンサンミッシェルの出来るまで@
モンサンミッシェルの出来るまでA
建物が徐々に増えてきて・・・
モンサンミッシェルの出来るまでB
今の形となりました
最後はヘリコプターで、塔のてっぺんに聖ミカエルの像を設置したんだそうです!!!
展示室を出ると・・・・
そこにはモンサンミッシェルからの180度大パノラマの風景が広がります
本当に気持ちいい最高の気分でした!!!
干潟のはるか向こうはイギリス、なんだか信じられない
修道院付属の教会
ここから実際に内部施設の観光がスタート
教会奥、本堂北側の様子
11〜12世紀に完成後、何度か崩壊し、修復されたもの
本堂北側は12世紀のロマネスク様式、内陣と後陣は15〜16世紀のゴシック様式
教会奥から入り口方面の上部を望む
回廊
修道院に暮らす僧たちの瞑想の場
回廊柱に施された美しい彫刻
回廊途中に、下へ落ちてしまいそうな、落下防止のない危険な場所が!!!!
きっと意図的に作ったのでしょうね〜
食堂
美しくカーブした丸型の天井やほのかに光が差し込む59もの小窓が神秘的な印象を与えます
オベール司教の像
聖天使ミカエルのお告げで、このモンサンミッシェルに礼拝堂を作った人
窓から差す光で照らされる部屋 大きな暖炉 支柱が並ぶ様子
模様が刻まれる床 礼拝堂 大車輪
ロープが巻いてあります
大車輪(上右写真)と車輪背中に見た外の風景
車輪はもともと荷車を運搬するためのものだったそうです
かつては6人の囚人が車輪に入って動力となっていたとか
サンテチエンヌ礼拝堂
19世紀までは死体の安置所だったチャペル
十字架に架けられたキリストを抱くマリアの像「ピエタ」が置かれています
2階にある「騎士の回廊」
僧侶たちの仕事部屋で、ここで写本や彩色が行われたそう
天井まで届く暖炉も設置されていました
大天使ミカエルの像
修道院のてっぺんにある黄金の像と同じ
ぬかるみの干潟を歩く人々
きっと足はびしょぬれでしょう(笑)
グランド・リュ(参道)の風景
多くの人々で通りが賑わっています
左手前に偶然キスを交わすカップル発見(笑)
ホテル&レストランLa Mere Poulard(ラ・メール・プーラール)」
名物「オムレツ」を調理中
食事しなくても、作るところを見ることが出来るんです!!!!
店外に飾ってあるフライパンとボウル
そばにLa Mere Poulard(ラ・メール・プーラール)」お土産店
クッキーや飲み物等々盛りだくさんの品々が販売されています
「王の塔」にフランス国旗がたなびきます


一路パリへ

観光が終わって、私たちは元来た道をUターン。遠ざかるモンサンミッシェルの姿を見ながら、「さようなら・・・・」とつぶやきました。海上にあのようなピラミッドが作られたこと自体が奇跡だし、こうやって後世に生きる私たちがその歴史を感じることが出来ることが、とっても貴重なことですよね。素晴らしい遺産をこれまでしっかり維持管理してこられたフランスとその関係者の皆さんに心から敬意を表したいと思います。そんなことを思いながら、再びパリに戻りました。

モンサンミッシェルを背にウッシッシが草をむしゃむしゃ
海上の風景とは違った雰囲気がありますね〜♪
さようなら、モンサンミッシェル
だんだんと、その姿が遠ざかって行きます


パリ最後のディナー〜就寝

帰りの道路はとても混んでいて、途中休憩をはさみつつ、パリに到着したのは暗くなった夜8時過ぎ。懐かしい凱旋門が再び見えてきました。早速夕ご飯のお店に向かいました。お店は「Bistrot 109」というイタリアンな雰囲気で沢山のお客さんで賑わっていました。私たちは2階の予約席に案内されました。今夜が最後のパリということで、これまでの思い出をツアーの皆さんと語り合いながら、楽しい時間はあっという間に過ぎて行きました。飲み物代として、たまりたまった6ユーロ分の小銭を消費。レストランの方はちょっとびっくりされていましたが、お財布が軽くなって良かった(爆)添乗員さんから、イギリスへのビザ免除の書類を渡されて、皆さんで教え合いながら記入しました。明日はいよいよユーロスターに乗りドーバー海峡を渡ってイギリス・ロンドンへ渡ります。ホテルの部屋に戻り、荷造りをして就寝しました。

パリに戻りました
凱旋門が遠くに見えますネ
パリBercyで12月6日に予定されているシャキーラのライブ公演看板
2008年にはセリーヌの同会場での公演告知もこんな風に出ていたんだろうなあ!!!
夕食をいただいたお店「Bistrot 109」
店内は沢山のお客さん 私たちは2階へ 予約席が準備されていました
ドイツビール「Karlsbrau」
今更、この大きさは驚かないですね(笑)
サラダ
チーズは他の方に進呈
牛肉の煮込み
 
アイス(バニラ&チョコ)とエスプレッソ
おまけ
ドイツとフランスで使用した通貨はユーロ。以前イタリアで使用したものと同じなので、詳細はこちらをご覧くださいね!!!
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