ジェームス・ブラウン、ジョージ・クリントン、プリンス等、数多くのファンク・レジェンドを熱いサックス・プレイで支えてきた“No.1ファンキー・サックス・プレイヤー”メイシオ・パーカー。そのメイシオを敬愛し、独自のファンキー・サウンドに磨きをかけているキャンディ・ダルファー。絶好調の活躍を続けるファンキー・サックスの2大巨頭が2010年初春、ついにブルーノート東京で共演する! 海外ではセッションを重ねている両者だが、日本での顔合わせはこれが初めて。2人のファンキー・スピリットが120%発揮された、血湧き肉踊る興奮のステージになることは間違いない。ワン&オンリーのグルーヴを、手の届くような距離で体感しよう。(BlueNote Tokyo HPより) メイシオ・パーカーについて(BlueNote Tokyo HPより) アルト・サックスとヴォーカルのメイシオ・パーカーは、1943年2月14日、ノースカロライナ州生まれ。レイ・チャールズを最愛のアイドルとして育つ。12〜13歳でサックスを手にし、ドラマーだった実弟と高校時代からバンドを組んで活動。大学を中退すると、折しもサックス奏者とドラマーを募集中だったジェイムス・ブラウンのバンドに’64年に加入。まずはバリトン・サックスを手に公式キャリアの第一歩を踏み出した。同グループの花形ソロイストとして大活躍する間、途中で軍役のため一線を退くが、復帰後は“メイシオ&オール・ザ・キングズメン”を結成してバンド・リーダーに。’70年代中盤になると、ジョージ・クリントンを総帥とするファンク集団“Pファンク”に加入。先に参加していたブーツィー・コリンズと共に、数々の傑作に関与。’80年代は、JB'sの復活に伴い、同バンドでも精力的に活動した。’89年に久しぶりのリーダー作『ルーツ』を制作。ビルボード誌ジャズ・チャートのトップを7週間制覇するほか、ローリングストーン誌批評家投票の「ベスト・ジャズ・アーティスト・オブ1990」賞も受賞。一躍、広範な人気も獲得し、90年代の最もファンキーなアルト・サックス奏者としての評価を確立。その後も、『モ・ルーツ』『プラネット・グルーヴ〜ライヴ!』『アイ・ライク・イット・ライク・ザット』『サザン・エクスポージャー』などの意欲作を続々と発表し、デヴィッド・サンボーンやキャンディ・ダルファーと共演。さらに’99年には、プリンスのアルバム『レイブ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』で演奏すると、’00年の自身のアルバム『ダイアル・メイシオ』で『レイブ・アン2・・・』の収録曲2曲をリメイク。ブラック・ミュージック界のビッグ・アイコンとのパイプを太くしながら、ファンク・スピリットを燃やし続けてきた。そこで、’02年はプリンスの「One Nite Alone...Live! Tour」に同行し、日本の9公演すべてに参加。翌’03年にジャズ色の強いアルバム『メイド・バイ・メイシオ』をリリースしてからも、’04年は再びプリンスのラヴ・コールを受け『Musicology』の録音に参加し、キャンディ・ダルファーらとワールド・ツアーにも同行。自身のプロジェクトでは、’05年の『スクールズ・イン』で、ファンクとR&Bの文脈を総括して見せた。最新作は、ドイツのWDRビッグ・バンドとのコンサート・ライヴを含む『ルーツ&グルーヴズ』(ビクターエンタテインメント)。来日するのは、09年1月の当店公演以来約1年ぶりだが、キャンディ・ダルファーとの日本公演はこれが初めて。 キャンディ・ダルファーについて(BlueNote Tokyo HPより) アルト・サックスとヴォーカルのキャンディ・ダルファーは、1969年9月19日、オランダのアムステルダム生まれ。父親ハンス・ダルファーはオランダを代表するサックス奏者。父に連れられ幼い頃からジャズ・クラブなどに出入りし、8歳でサックスを学ぶ。11歳になると早くも父親のバンドに加わりアルト・サックスをプレイし、地元のジャズ・クラブなどで話題をさらった。’84年に自己のグループ“ファンキー・スタッフ”で動き始めるとたちまち脚光を浴び、’88年にはマドンナとプリンスのオランダ公演の前座を務める。この評判から、デイヴ・A.スチュワートが映画『リリィ・ワズ・ヒア』のテーマ曲にキャンディを起用。このヒットによって広く知られるようになった。’90年に初アルバム『サクシュアリティ』を発表すると、100万枚のセールスを突破しグラミーにノミネート。続く’93年の第2作『サックス・ア・ゴーゴー』では、メイシオ・パーカーや“タワー・オブ・パワー”ホーンズと熱烈なファンク・ミュージックを展開。3作目の『ビッグ・ガール』では、父ハンスやデヴィッド・サンボーンと共演。4作目の『フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー』では、アイズレー・ブラザーズの名曲を軸に、ヴァラエティに富んだファンク・ミュージックを押し出し、アルバム・セールスは250万超。5作目の『ガールズ・ナイト・アウト』でも、JB'sのメンバーとソニー・ロリンズのナンバーを取り上げるなどして新生面を繰り出した。来日公演も92年から1年と空けずに続け、02年暮れは、父ハンスと日本初のクラブ・ギグを当店で実施。さらに’04年は、100公演超のプリンスのツアーをメイシオ・パーカーと一緒にサポート。その波に乗って、メイシオの最新作『スクールズ・イン』にも参加し、歌とサックスのデュエットで新機軸を力強くアピールした。そこで、メイシオ・パーカーをゲストに迎えた『ライト・イン・マイ・ソウル』ではヴォーカル・ナンバーを増強。’07年にレーベルを移って『キャンディ・ストア』を発表後も、世界の舞台を軽快なフットワークで駆け抜けてきた。最新作『ファンクド・アップ』(ユニバーサル ミュージック)では、東京の印象をフックに〈ロッポンギ・パニック〉を書き下ろすなど、大の親日家でも知られる。来日するのは、シーラ・Eとの’09年5月の当店公演以来10ヵ月ぶり。 ブルーノートHPでも今回のライブ紹介がされています!!!→コチラ
LiveReport(2010.2.13 BlueNoteTokyo 2nd)
Link ブルーノート東京 http://www.bluenote.co.jp/ メイシオ・パーカーHP http://www.maceo.com/ キャンディ・ダルファーHP http://www.candydulfer.nl/ |